
函館で都電に再会・フォトギャラリー
函館で都電に再会
昭和50年、小学6年生の私は、初めて買った鉄道趣味誌「鉄道ジャーナル」に載っていた都電の記事に興味を覚え、早速カメラを持って撮影に出かけた。私はその人間味あふれる電車にすっかり魅せられるとともに、都電の全盛時代を目にすることができなかったことが残念で仕方なかった。
私は都電の全盛時代の感触を味わうために函館に向かった。函館は2年ぶり、2回目の訪問である。平成4年(1992)3月25日、上野駅から急行「八甲田」に乗り、青森からは快速「海峡」で青函トンネルをくぐり、函館駅に着いたのは翌日の12時ちょうどだった。駅構内の食堂で連絡船名物だった「海峡ラーメン」を食べると、早速函館市交通局駒場車庫を訪ねた。事務所で撮影の許可をもらい、車庫内を見渡すと、奥の方に1008と書かれた丸みを帯びた車体が目に止まった。これが元都電7037号だった車両だ。広告電車になっているが、前面が左右非対称の窓に改造されていることと、ワンマン用のバックミラーがついている以外は都電時代と目立った違いはない。構内をひと渡り撮影後、今度は乗車してみる。車内に入ると、料金箱があったり床暖房が目につくが、なつかしさがいっぱいだ。しかし、考えてみると、この電車は函館に来てからの年月の方が長く、すっかり函館市電になりきっているというべきだろう。これからも末長くこの地で走り続けてもらいたいのだが、函館市電の先行きは必ずしも明るくない。この3月末で東雲線(松風町〜宝来町、1.6q)が廃止さ れたのに続いて、来春にもさらに路線縮小が計画されているからだ(注:翌平成5年(1993)3月31日限りで、通称「ガス会社回り線」こと函館駅前−ガス会社前−五稜郭公園前間が廃止された。 )。ゆくゆくはこの1000形を都電荒川線で引取って動態保存してもらえればと思うのだが。
駒場車庫から乗ってきた1008号を末広町で降り、相馬株式会社をバックに市電を撮影した。2年前と変わらない姿を見せているこの建物の周囲には高層マンションが出現しており、明らかに景観の調和を乱していた。この他にも2年前にはなかったホテルやマンションがあちこちに建っており、函館の空は確実に小さくなった。高い建物から周りを見渡すのは大変気分がいいだろうが、何かかけがえのないものを失ったような気がした。観光都市として生きていくための発展が、重要な観光資源である景観を損なう結果を生むというは何とも皮肉だが、函館の街がミニ東京にはなってほしくないと思いつつ帰途に着いた。
初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP53(92.10.18)
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