営団・都営地下鉄の話題

営団丸ノ内線500系、方南町支線からも撤退

営団丸ノ内線500系は、1996年7月18日限りで方南町支線からも撤退した(一般営業運転の終了)。7月20日には招待客を乗せて、後楽園発中野車両基地行きのノンストップ記念列車が運行された。この列車は方南町支線に使われていた3連×2本により運行され、「中野坂上←→方南町」の側面ステッカーをつけたまま走った(最後の運転)。

なお、引退した車両のうち約1/3にあたる113両がアルゼンチンのMetrovias社に譲渡され、首都ブエノスアイレス市の地下鉄として今も走っている。


営団丸ノ内線500系、本線での運転を終了

 02系の増備とともに数を減らしつつも活躍を続けてきた丸ノ内線の 500系が、1995年2月28日を以て本線(池袋〜荻窪間)から撤退した。これを記念して、2月23〜28日の間、500系1編成にヘッドマークと車内に銀モールの飾りをつけて運転した。

 500系は'94春の時点において本線上で23編成が使用されていたが、02系の増備によって9月には4編成にまで減ってしまった。

 昨年夏の猛暑の時期、冷房のない500系はかなりの不評を買ったらしい。後楽園の電留線に02系を置いてあるのを見た乗客から、「なぜ冷房車を動かさないのか」といった苦情が出て、日中後楽園留置の運用を500系限定にしたそうである。

 さらに本年1月に1本が廃車となり、「お別れ運転」開始時には3編成となった。このうち1編成は2月24日の朝ラッシュ後に運転を終了、以後28日の最終日まで2編成が最後の力走を見せた。沿線の四ッ谷、後楽園の撮影ポイントは連日賑わっていた。

 なお、銀座線、日比谷線の初期系列の全廃時に行われた貸切の招待列車は運転されなかった。また、広報誌にも事前の告知はなかった。これは、支線に500系が残存するため今回はセレモニーを一切行わない予定であったところ、本線からの赤い電車引退が一部で報道されたため、最少限の形としてお別れ運転を行ったためである。また、置換え時期も2月15日限りを予定していたが、阪神大震災の影響で近畿車両からの02系搬入が遅れ、500系がその分延命することになった。

 以上のようないきさつでやや中途半端な形となった「500系さよなら」であったが、全廃時には、支線用の3連を2本つなげて本線上を貸切招待列車として運転することを期待したい。

 思うに、丸ノ内線の赤い電車ほどの強烈な個性を持った通勤車両はもう現れないのではなかろうか。02系は音も静かで冷房もついており快適な電車であるが、他線を走る電車と異なった際立った個性は見出せない、どこにでもあるアルミ車両である。塗装工程が不要であることや、軽量化が図れるなどのメリットのあるステンレス・アルミ車両の普及は当然の流れではあるが、ワンパターンのラインカラーの帯でしか自己を主張できない車両ばかりになってしまうのは残念な気がする。

 ともあれ、高度経済成長時代からサラリーマンを乗せて走り続けた500系の活躍を称えるとともに、新天地アルゼンチン・ブエノスアイレス市地下鉄での第2の活躍を祈りたい。

[丸ノ内線500系、本線運用の最終2編成]

荻窪←−−−−−−−−−−−−→池袋
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車
1 741 907 785 786 908 724
2 793 911 795 794 912 796

1.前後にHM取りつけ,各車内に銀モールの飾りつけ
2.HM,装飾なし
*下線は運転台撤去車


赤いハコが消える

 1994年5月30日のイブニングネットワーク(NHK)で、地下鉄丸ノ内線のリポートが放映されたので、その内容を以下簡単に紹介する。

 『東京の営団地下鉄では、今、丸ノ内線の車両を新しい車両に切り替えています。全ての車両を冷房付きにするためで、扇風機しか付いていない赤い車両(300,500,900形)は、新型のアルミ車両(02系)に置き換えられることになりました。今、中野工場では、赤い車両の解体作業が行われています。赤い車両は、まだ130両が現役で走っていますが、方南町支線を除いて、来年2月までに姿を消すことになっています。

 丸ノ内線は、都心のオフィス街や官庁街を縫うように走っています。1日の利用客は、通勤客を中心に120万人に上ります。ここを走る赤い電車は、現役の地下鉄車両としては最も古いものです。赤い車体に白いラインと波形模様のデザインは、東京芸術大学に依頼したもので、当時としては斬新なものでした。今では当り前の蛍光灯の照明が付いたのも、扇風機が付いたのも、ドアが両開きになったのも、丸ノ内線が最初です。昭和37年に出版された小学館の絵本には、この赤い車両が描かれていて、赤い車両が当時、代表的な地下鉄として子供たちに親しまれていたことがわかります。40年にわたって通勤客などを運び続け、日本の高度成長とともに走り続けた車両が、間もなく姿を消そうとしています。

 丸ノ内線の赤い車両と並んで東京の地下鉄のシンボル的存在だったといえば、銀座線の古いタイプの黄色い車両(2000形以前の車両)ですが、昨年の7月に全て現役を引退しました。しかし、茨城県の日立電鉄に再就職して、第2の人生を送っている車両もあります。丸ノ内線の赤い車両については、引退した後、一部が展示用に残されることが決まっていますが、車両として働ける再就職先の話は、今のところ正式にはないそうです。』

(94- 6- 1記)

初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP73(94.6.19)


営団南北線、モックアップでPR

 首都高の一ノ橋インターチェンジの真下にある港区立一の橋公園に、営団地下鉄南北線のモックアップが展示されている。この場所は、平成9年度に南北線が延長開業した際の麻布駅(仮称)の建設予定地の近くで、現在は公共交通機関はバスしかないといういわゆる「陸の孤島」で、付近の住民の地下鉄建設の要望が高かった所でもある。

 モックアップは実物の約半分の長さ10mほどとなっており、ダミーながら運転室内の機器も再現している。客室内には、南北線の工事概況を示したパネルや航空写真を展示している。南北線はホームドア方式で車両を眺めることが出来ないので、車両のよいPRにもなっている。

 なお、内部公開時間は月〜金曜日の10〜16時となっている。


営団地下鉄2000形引退

 営団地下鉄銀座線の在来車(第2次1500N形以前に製造された塗装車)は、昭和59年1月1日の01系投入後徐々に数を減らしてきたが、今回、最後まで残っていた2000形・1500形が引退するにあたってお別れイベントが行われた。

 まず、(1993年)7月24日には、抽選で選ばれた招待客を乗せた記念列車を上野車両基地→赤坂見附→中野車両基地の行路で運転した。記念列車に使われたのはG70編成(2061+1561+1562+1567+1568+2074)で、前後にだ円形のヘッドマーク、側面はステッカーやカラフルな彩色で飾られた。同列車の中野車両基地到着後は撮影会が行われた。また、車両基地では車両解体部品の頒布会も併せて実施された。当日はあいにくの悪天候であったが、約1000人の来場者でにぎわった。

 記念列車は翌日から銀座線で営業運転に使用され、G69編成(2063+1563+1564+1565+1566+2076)とともに29日まで運転された。唯一の地上区間である渋谷駅の降車ホームの表参道寄りや東口の歩道橋には、最後の姿を撮影しようとする鈴なりのファンの姿が見られた。

 これをもって開業以来66年に渡って親しまれてきたオレンジイエローの塗装車は全て姿を消した。2000形は、駅進入時に車内灯が消え非常灯だけになるのが特徴であったが、この独特の光景も見納めとなった。

 8月2日からは、従来の打子式ATSに代わりCS−ATS実施に伴いダイヤ改正を行い、01系に統一されスピードアップにより渋谷−浅草間が4分短縮され31分となった。

 なお、2000形は丸ノ内線中野坂上−方南町の分岐線でも使われていたが、こちらは5月7日より500形に一部置換えが開始され、7月6日限りで全て引退した。分岐線の運用についている編成は下記の通り。

中野坂上←−−→方南町
770 769 709
656 304 637
720 719 729
700 744 653
752 584 713
696 754 753


丸ノ内線支線の2000形引退

 銀座線用の2000形3連×6本をもって運用されてきた丸ノ内線の中野坂上−方南町間の分岐線が、1993年7月7日から全ての編成が大型化されることになった。すでに5月7日より500形3連に一部置換えられている。

 同分岐線では、昭和43年から2000形10両を丸ノ内線に準じた塗色に塗り変え、乗降口にステップを取りつけて使用してきた。昭和56年には輸送力増強のため、さらに2000形8両を転属させている。

 今夏、銀座線からも在来車が一掃されるため、駅進入時に車内灯が消える独特の風景も見納めとなる。


銀座線・丸ノ内線にUライナー運転

 93年4月1日より両線に車内広告貸切電車“Uライナー”が運転されている。車内広告を1社に統一したもので、現在はハイネケンビールの広告を掲出中である。銀座線第36番編成と丸ノ内線第20番編成の2本が、正面と側面に“Uライナー”の粘着シートで色鮮やかに飾られて乗客の注目を集めている。


都営三田線6300系、6月23日営業運転開始

 昭和43年の開業以来、6000系の単一系列で運行されてきた都営地下鉄三田線に、初のモデルチェンジとなる6300系新造車両が導入される。(1993年)5月下旬からメーカーの川崎重工より志村車庫に5編成30両が搬入され、機器の動作確認、乗務員の練習運転を行ったのち、6月23日から営業運転に入ることになっている。

 車体はオールステンレス製で、前面はFRPに大形曲面ガラスのスマートな外観となっている。車内にはバケットシート、スクロール式電光表示、車椅子設置スペースを備え、各車両の端部に1箇所ずつクロスシートを設けている。車内放送は自動放送による日本語・英語案内が可能となっている。制御装置はVVVFインバータで、平成9年度に予定される東急目蒲線との相互直通運転仕様の、ワンマン運転対応の機器を備えているのが特徴である(当面は現行通り車掌が乗務する)。

 6300系は平成6年度も8編成48両が導入され、三田線の冷房化率は6000系冷改車とあわせて今夏60.7%、来年の夏には100%となる。

P.S.
 6月22日午前10時15分より高島平駅において、東京都副知事、板橋区在住の利用者代表、高島平駅周辺の小学校児童出席による発車式典が行われた。その後、10時30分に試乗電車が出発、巣鴨まで1往復した。

 また、7月31日まで新造車両5編成に“6300形新造記念”のヘッドマークをつけて運転した。

初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP62(93.7.11)


営団地下鉄、新春ライナー運転

 営団地下鉄では、1992年7月の“花火ライナー”に続いて、12月31日夜に01系による丸ノ内〜銀座線の直通電車“新春ライナー”を運転した。丸ノ内線沿線から浅草かいわいへの初詣の足の便を図るために、荻窪発浅草行の片道1本のみが運転され、浅草到着後は元旦の始発まで浅草〜上野間の折返し運転を行った。なお、停車駅は荻窪、新宿、虎ノ門〜浅草の各駅でその他の駅は通過となり、荻窪、新宿ではDコック使用により中間1扉のみの開閉となった。これは、車両限界の違いから電車とホームの間隙が大きいための安全上の措置である。使用された01系第33編成の前後は電飾つきのヘッドマーク、側面はカラフルなカラーステッカーで正月の風物詩を表現し、1月6日まで装飾をつけたまま銀座線内を運行した。


営団丸ノ内支線2000形に方向幕形ステッカーを掲出

 営団地下鉄丸ノ内線中野坂上−方南町間のいわゆる方南町支線は、銀座線からの転属車2000形3連×6本で運行されているが、このほど中央側扉上に方向幕形のステッカーを掲出した車両が現われた。10月20日現在、ステッカーが掲出されているのは2037,2038,2062,2082の4両である。写真は2037号車のステッカーでこの車両のものだけ“中野”の文字が小さい。


営団銀座、丸ノ内線にアニバーサリートレイン運行

 1991年に創立50周年を迎えた営団地下鉄では、11月中銀座線と丸ノ内線各1編成を、車体を色あざやかなステッカーで飾ったアニバーサリートレインとして運行した。なお、11月6日までは車内に営団地下鉄に関する写真を展示して走った。


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