京福・福鉄乗り歩きの旅・フォトギャラリー



京福・福鉄乗り歩きの旅

 全国のローカル私鉄がモータリゼーションの波に洗われ、一つまた一つと姿を消してゆく昨今、福井県内の2つのローカル私鉄も、安閑としていられない事態になってきた。京福電鉄は、92年2月に越前本線の東古市−勝山間と永平寺線を93年春を目途に廃止すると表明した。福井鉄道は、福井市から福井駅前−市役所前間の通称ヒゲ線が渋滞の元凶だと廃止を要請され、この区間を含む併用軌道部全体についても福鉄と市、沿線住民が協議会を設け、存廃を検討していくとの報道がなされている。そこで、今まで乗らないままなくなってしまった路線の二の舞にならないうちに、これらの区間を含めた2社の路線を乗り歩きすることにした。

●京福電鉄越前本線

 92年7月12日(日)、福井駅からまずは京福電鉄越前本線で勝山を目指す。京福の福井駅は福井駅の裏口という表現がぴったりで、JR側の表玄関とは対照的な静かさである。多くの観光客で混雑している福井駅の中で、京福電車乗り場の一角だけがエアポケットのように閑散としている。7番ホームから発車する7時33分発勝山行は、京福では貴重な冷房車の2204号だった。他の形式が差込み式のサボを持つのに対して、このモハ2201形だけは2灯のヘッドライトの間に方向幕がついている。また、側面方向幕や下枠交差式のパンタグラフも、この形式だけのものだ。塗色もクリームとあずき色のツートンは同じながらも、塗り分けが今流行りの第3セクター風の斜めストライプとなっているなど、京福のピカ一形式と言えるのではなかろうか。車内には整理券発行機や運賃表示器、運賃箱といったワンマンカーの必需品が備わっていた。

 定時に福井を発車した単行ワンマンカーは、この先福井口までは北陸本線と並走する。福井口で三国芦原線が左に分岐し、次の越前開発で複線区間が終わる。このあたりはまだ福井市の近郊で、短区間の乗り降りが目立つ。車内は少しずつ乗客数が減っていき、特に東古市を過ぎて廃止予定区間に入ってからはそれが顕著になった。車窓風景も田園ののどかさが消え、山を右に見て九頭竜川に沿って走るようになった。そして福井を出てから約1時間、8時31分に勝山に到着した。

 駅を出て、しばらく川の対岸にある市街地を散策してみたが、雨が降ってきたので折返し電車の中に逃げ込んだ。

●京福電鉄永平寺線

 東古市から永平寺線の10時03分発永平寺行に乗った。京福では唯一の自社オリジナル形式になったモハ251形モハ251で、最近なかなかお目にかかれなくなったバス窓を持っている。発車すると電車はすぐ右に急カーブを切る。永平寺線は越前本線に比べて、レールも細く、一見すると廃線跡と見間違えるかもしれない。車窓風景も越前本線と比べ、いっそうもの寂しく何か荒涼としており、過疎という言葉がぴったりである。電車は急勾配をレールをきしませて登っていく。わずか12分で到着した永平寺駅は、苔むした終着駅といった趣で、なかなか好ましい雰囲気を持っていた。

 せっかくここまで来たので、話の種に永平寺を参拝しようと坂道を上がっていった。今日は日曜日とあって大勢の観光客で賑わっている。これほどたくさんの人がいるのに、ほとんどが観光バスかマイカー利用で、永平寺線の利用には全くと言ってよいほど結びついていないのは不思議だ。永平寺の山の斜面に配置された堂塔は、冬の雪景色の中では一層映えそうだと思った。今度は冬に来てみたいが、その時にはまだ電車は走っているだろうか。

 寺の見学に約1時間かかり、駅に戻ったらちょうど11時18分発の東古市行が出てしまった。電車は1時間ヘッドなので次は12時18分である。しかし、その間にバスが入り、実質的には30分ヘッドになっている。電車とバスが30分ごとに交互に発車するというのは、いかにも電車を廃止する下準備のようだ。電車とバスは同額で、バスに乗るにも窓口で乗車券(硬券)を買い、ホームを経由して乗り場へ向かう仕組みである。まさに代行バスと呼びたくなる。11時48分発のバスは線路とつかず離れず国道 364号線を下り、10分ほどで東古市に着いた。かつて金津(現・芦原温泉)方面に線路が延びていた跡地のような場所にバスは止まり、ここで福井行の電車に乗換えた。

[補足] 京福電鉄福井支社の廃止予定区間は、県と沿線自治体の廃止合意が得られず、93年4月以降も運行を継続している。沿線の3市町村では、回数券の2割相当額を補助するなど利用拡大に努めているが、なお厳しい状況が続いている。京福電鉄では数年の間に廃止したい意向とのこと。

●福井鉄道福武線

 福井駅に昼過ぎに戻り、午後は市内の見物をして過ごした。夕方になり、京福電鉄三国芦原線の田原町駅近くの宿に一旦入り荷物を置いた。夕食をとるため福井駅前の繁華街に出ようと、田原町から福井鉄道の市内線に乗ってみた。福井鉄道は武生新−田原町間の本線に対して、福井駅前に入る支線がある。このヒゲ線には田原町からはポイントを渡りそのまま入っていけるが、逆方向からはスイッチバックが必要な配線となっている。自分の乗った武生新行は福井駅前に立寄るのだが、それを知らず、直進してしまうのではないかと不安になって市役所前で降りたところ、電車はポイントを切って駅前方向に去っていった。そのまま乗っていればよかった!

 宿で新聞を読んでいると、福井鉄道の路面区間の今後について会社と市、それに住民の間で協議会を設け検討してゆく、という記事があった。そう言えば市役所前−福井駅前の通称“ヒゲ線”については地元商店街から、車で買物に来るのに電車が邪魔になるので廃止してほしいという要望が出されているというニュースをNTV“ズームイン朝!”で見た覚えがある。それ以外の路面区間についてもこのような記事が載るとは、やはり街中をゆく図体の大きな電車は疎ましく思われているのだろう。記事には、“現状のままか、廃止か、施設の更新か今後のあり方をさぐる”とあり、最悪の場合は路面区間全体が廃止されるかも知れない。なお、“ヒゲ線”については市も廃止に肯定的なため、おそらく廃止は免れないだろう。

 福鉄の福井駅前に立ってみると、確かに道路は狭く両側には駐車車両が並び、電車が入ってくると片側一車線を確保するのがやっとという状態である。しかしながら、本来駐車場に入れるべき車をそのままにしておいて、電車が邪魔だから廃止しろというのは本末転倒であり、昭和40年代の発想をまだ引きずっているのは残念なことだ。個人の用務のため公共のスペースである道路を占有することと、公共交通機関が道路を占有することとどちらを優先すべきか今さら言うまでもない。

 ところで、福井駅前にはバスターミナルの設備はなく、駅前大通りにバス停が分散して配置され、駅から一番遠い“福井駅前”バス停は駅まで歩いて5分はかかり、市役所や京福バスターミナルにかなり近い有様である。また、あちこちで指摘されているように、バスは地元住民ならいざ知らず、旅行者にとってはどこをどう走っているのか非常にわかりづらく、乗っていても不安になることが多いように思う。もし福鉄も新潟交通のようになってしまったら一層乗客が減ってしまうことは目に見えている。福井駅前まで乗入れているメリットを今後も最大限に活用してもらいたいものだ。

 一夜明けて7月13日(月)、朝8時過ぎに宿を出た。福井鉄道完乗のため、今度は福井駅前から乗車する必要があるが、今朝はバスで駅前まで行くことにした。バスは電車と並行して走るが、電車には裁判所前と市役所前の2つしか停留所がないのに対して、こちらは途中にこまめに停留所が設けられている。市役所前を左折し、電車通りの一本左の駅前大通りに入り、駅のかなり手前で降ろされてしまった。そういえば駅前にはバスターミナルの施設はなく、バス停は乗車・降車場に分かれ、駅前大通りの両側にずらりと並んでいる。だから、一番遠いバス停だと駅までかなり歩かされる。よくある光景だが、タクシーとかマイカーだとほとんど歩かずに済むような所まで乗り入れられ、公共交通には不便な場所しか与えないのはどこか間違ってはいないだろうか。

 駅前から9時10分発の急行武生新行に乗車する。クリーム色に青帯のモハ 200形2連に2段のステップを上がって乗り込む。福鉄も市内線までワンマン化が進み、合理化を余儀なくされていることを窺わせる。市役所前でスイッチバックし、道路上を車に抜かされながら左右に車体を揺らして走る。木田四ツ辻を過ぎ、専用軌道に入るとにわかにスピードが増した。急行通過駅でも1線スルー式配線で、通過側は直線でスピードを落とさないので速い。福鉄は、並行するJR北陸本線には当然のことながらスピードではかなわない。そこで、駅数を多く設けることでJRと勝負を挑んでいるようだ。やがて車窓は田園風景に変わった。地方都市ではどこでも市街地を抜けると、ほどなくこのような長閑な景色に変わる。東京のようにどこまでもだらだらと市街地が続いている、などということは決してない。街の大きさが、人間が人間らしく暮らしていくのにちょうどよい大きさなのだろう。駅のポイント部分に雪よけの小さなトンネルがあるのは、この地が豪雪地帯である証である。日野川を渡り武生市に入り、福井駅前から34分で終点武生新に着いた。ここからJRの武生駅までは徒歩3分ほどの距離である。

 このあと武生駅周辺を散策し、昼食をとった後、12時15分田原町行普通に乗車した。再びモハ200形だった。今度はひとつひとつ停車するため、あまりスピードは上がらない。なお、この列車は福井駅前に立寄らずに市役所前を直進した。

[補足] ヒゲ線廃止問題については、市や沿線住民の方針転換があったらしく、廃止は免れそうだ。

●京福電鉄三国芦原線

 サラダ記念日で有名な詩人、俵万智の名の由来となったと言われる田原町駅は、京福側は委託のおばさんがきっぷを売っているが、福鉄側は無人である。古びた木造の駅舎は、薄暗く、悪く言えば廃墟のようだ。普通木造駅舎と言えば、味わいのある好ましいものと考えるが、京福や福鉄の場合は、何か殺風景な感じがする。資金がなくて建て替えたくてもそれもできず、仕方無く古い駅舎を使っているように見える。昨夕、宿へ向かう際、すでに福井−田原町間は乗っているので、ここから終点の三国港まで行けば福井の2私鉄完乗となる。

 やってきたのは、元南海の流線形2枚窓のモハ3001形2連だった。国鉄から80系湘南電車が消えて久しいが、地方私鉄ではこのようになつかしい湘南フェイスの車両がまだ見られる。車内は、現在の使い方には必要以上にデラックスな転換クロスシートである。西福井あたりまでは市街地を走る。西福井駅は駅ビルの下にホームがあり、何だか総武流山電鉄の幸谷駅を思わせる。その後は田園風景の中を坦々と電車は走り、ひとつひとつ駅に停車していく。現在では多くの駅が無人化され(45駅中27駅)、有人で残った18駅中12駅が時間帯による有人駅で、終日有人駅はわずか6駅となってしまった。電車もワンマン化され、合理化は急速に進んだ。それだけ利用客が少なくなったということなのだが、なんとも侘しい気がする。車内のテープ案内で、「次は○○、無人駅ですので一番前の扉からお降り願います」と流れるが、これだけ無人駅ばかりなら、逆に有人駅だけを強調してアナウンスした方が手っ取り早いのではないかと思った。有名温泉地の玄関口となる芦原湯町駅には以前立寄ったことがあるが、鉄筋コンクリート造りで京福電鉄で一番立派な駅舎ではないだろうか(あまりにも他の駅がみすぼらしい造りなので、この駅が立派に見えるのでもあるが)。芦原湯町から三国の先までは、かつて鐵道省三国線が並走していたため複線分の用地がある。三国で乗客のほとんどが降り、終点の三国港ではわずか数人になってしまった。

 駅のすぐ横、海沿いの県道のバス停から京福バスに乗った。このバスは毎時1本しかなく、接続よく乗れたのはついていた。バスの車窓からは、三国芦原線に乗っていた時には見えなかった海がよく見える。鉄道は道路と比べて勾配や曲線の制約が大きいため、あまり岬の先や峠の上まで通すことができない。そのため、車窓の眺めという点では道路に一歩譲るようだ。バスは10分ほどで東尋坊に着いた。

 東尋坊の名前の由来は、昔悪いことばかりしていた坊主が、この崖の上に呼び出され突き落とされたという伝承から、その坊主の名を取ってつけたと言われる。日本海の荒波と風雪の自然によって造られた巨大な岩柱を、タワーの上や遊覧船から存分に楽しみ、2時間ほど過ごした。

 帰途は16時20分発の松島水族館経由芦原温泉駅行の京福バスに乗る。日がゆっくりと傾きつつある。バスは芦原湯町駅に立ち寄ったのち、JR芦原温泉駅を目指す。かつての三国線をなぞりながら走っているのだろうか、と考えながらバスに揺られていた。

 私がなぜこのような紀行文を書いているかと言うと、いずれ過去帳入りしてしまうであろう路線の運行状況や車窓の風景、そしてどのような環境のもとに走っていたかを記録に残すためと、その過程で自分が感じたことを伝えたいからである。

 ところで、「旅」92年9月号(特集・ローカル私鉄旅情)にはこんなことが書いてあった。「純真に思考するなら『モータリゼーションの進展』『利用減』『赤字』のいずれかにくさびが打ちこまれない限り、現存するローカル私鉄とて、早晩『使命を終える』日がくるのはまちがいない、という結論になるだろう。」現存するローカル私鉄は、昭和40年代の廃止の嵐を乗越え、徹底的な合理化を図って生き残ったものである。どの線に乗ってみても、存続に向けて必死の努力を重ねている様子がわかる。しかし、モータリゼーションの成熟化は、何とか営業を続けているこれらのローカル私鉄の存続さえ許してはくれない。もうこれ以上合理化の余地のないところまで追込まれれば、その先は廃止するしか選ぶ道はない。ローカル私鉄紀行は、先の長くない老人を病床に見舞うのにも通じる所があるような気がする。

(参考資料)
畑下 学「私鉄フォーラム第35回 福井鉄道」鉄道ダイヤ情報62/1989.6
鈴木文彦「ローカル線の実態と問題を現地に見る 京福電鉄福井支社各線」鉄道ジャーナル 297/1991.7

(1993-10- 9記)

初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP66(93.11.14)


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