
銀座松坂屋屋上のD51・フォトギャラリー
銀座松坂屋屋上のD51
現役時代のSLは一度しか見たことがない。岐阜に住んでいた昭和43〜44年頃、名古屋駅新幹線ホームの東京寄りに立っていると、右手から単機でうす汚れたD51が目前を通り過ぎて行った。おそらく中央西線で使われていたカマであろうが、新幹線とD51というミスマッチングな取り合わせが妙に印象に残っている(もっともまだ小学校に入る前なので、記憶はかなり風化しているが)。その後、東京へ移り住み、動いているSLとは縁がなくなってしまった。
昭和46年の秋に家族で交通博物館に行った。新しい年のSLカレンダーを手にして、1号機関車の前で写真を撮った。当時は1号機関車は中庭に置いてあった。屋内に移されたのは、C57 135が来てからだったと思う。
その翌年、昭和47年は鉄道開通100周年であった。終焉を迎えつつあったSLが大変なブームになり、写真集が次々と出版され、まさに社会現象となっていた。そのブームに乗って、デパートの屋上に上ってしまったとんでもないSLがいた。そのカマはD51220、5月の連休の銀座松坂屋である。当時は今のようにテーマパークが発達しておらず、デパートの大食堂で食事をして、屋上の遊園地で遊ぶのが家族の楽しみという時代であった。さて、久しぶりにD51との再開を果たした私であったが、嬉しさも半分といった気分であった。そのD51には車輪がなかったのである。90dもある巨体を持ち上げることはさすがに出来ず、下回りをもぎ取って、ボイラーの中を空洞にして軽量化したうえで、一昼夜かけて屋上へ吊り上げたのだそうだ。子供心に「機関車を切るなんてかわいそうに」と思いながらも、その気持ちをどこへぶつけたらよいかわからなかった。D51にはテンダーもついていなかった。そして、運転室のひもを引くと、エンドレステープに録音された汽笛の音が流れた。このサーカスD51は北海道から九州まで全国公演をこなしたとのことである。
それから3年後の昭和50年12月14日、C57 135牽引の室蘭本線225列車をもって、SLの営業旅客列車は103年の歴史を閉じた。当時を知る者にとっては、現在走っているピカピカの復活SLを見ても、何か違和感を感じるのではないだろうか。私も、全身煤だらけだった頃の姿こそが生きている蒸気機関車だと思うのである。
(94- 7-20記)初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP75(94.8.14)
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