日中線廃線跡・フォトギャラリー



日中線の廃線跡を訪ねて

 一連の国鉄改革の中で、全国各地から数多くのローカル線が消えていったが、その中でも日中線は特徴ある路線であった。一日わずか3往復の運転、それも朝夕しか走らず、「日中走らぬ日中線」と呼ばれたこと。また、SL廃止後も、DE10による客車列車であったことなどである。SL末期には、只見線、会津線(現・会津鉄道)とともに、C11の活躍で人気があった路線でもある。

 日中線は、下野(栃木県)、岩代(福島県)、羽前(山形県)を結ぶ野岩羽線の構想のもとに、昭和13年8月18日に喜多方−熱塩間11.6qが開通した。米沢までの延長計画があったが、太平洋戦争により自然中止となり、戦後の建設運動も、交通体系の変化によりついに実ることはなかった。そして、昭和56年に国鉄再建法に基づき、第1次特定地方交通線に指定され、昭和59年3月31日限りで廃止となった。廃止から9年が経過して、現地はどのように変わっただろうか。

●遊歩道に生まれ変わった廃線跡

 日中線は、喜多方から山都方へしばらく磐越西線と並行し、右に分かれていた。この分岐点から先を、喜多方市が歩行者・自転車専用道として整備した。この道を歩いていくと、途中に一般道路化されとぎれている部分もあるが、15分ほどの所に、かつてこの線で活躍したC1163と昭和電工のDLが保存されている。これは、日中線の線路をそのまま利用したものである。

●日中線記念館として残る旧熱塩駅

 喜多方駅から熱塩温泉行のバスで約25分、日中線記念館前で下車する。バス停のすぐ脇に、旧熱塩駅の屋根の傾斜の深い西洋風のモダンな駅舎が今も残っている。窓には板が打ちつけられているが、外観的には現役当時そのままである。待合室はカギがかかり、立入れなかったが(あとで知ったのだが、改札口の向かいにある民家が記念館の管理人となっており、内部見学の際はこの民家に申し出ればよいとのこと)、中には日中線の写真パネルやさよなら列車のヘッドマークをはじめ、さまざまな思い出の品が展示されていた。

 短いホームもかつての姿をとどめていた。ただ、レールは全て撤去され、機回しを行っていたスペースは小公園になった。終端方には、除雪車キ287と客車オハフ61 2752が屋根の下に置かれ、反対の喜多方側を見ると、使命を終えた踏切警報機が1対立っていた。

 日中線が廃止されたのは、沿線が過疎化したためもあるが、決して住人がいなくなったわけではない。むしろ、観光地を控え、一定数の人口があっても、利用者のニーズに応えられなかった結果ではないだろうか。消極的経営に終始し、末期には通学列車としての用しかなさなかったのである。例えば、列車本数を増やし、中間駅を増設する等の努力がなされていたら、違った結果になっていたかも知れない。

 今回、このような形で原稿を書いたのは、この失われたローカル線の存在を、一人でも多くの方に思い出してもらいからである。

(93- 1-31記)

初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP59(93.4.11)


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