
そこかしこにレールがあった
- ●利根川沿いの醤油工場
94年11月5日朝のNHKニュースで、利根川沿いの醤油工場のレポートがあった。利根川の河口堰から4qほど上流、支流の黒部川に近い千葉県東庄(とうのしょう)町の醤油工場で、創業は約270年前、今ある工場の建物は約 190年前のものだそうである。町役場には、大正時代の積出し風景の映像が残っており、それによると当時は出来上がった製品を馬車で川まで、そして船運を利用して各地に出荷していたとのことだ。その後、輸送手段は鉄道から、現在ではトラック輸送に変わったが、今でも工場内にはプラットホーム跡が残り、付近には線路もまだあるそうだ。 NHKのため、工場の名前は放送されなかったが、地図で確認したところ、この工場は、成田線笹川駅近くにある入正醤油工場と思われる。
なお、利根川をはさんだ対岸は茨城県神栖町で、ここでは一時期、鹿島臨海鉄道が成田空港へのジェット燃料輸送の見返りとして、旅客営業を行っていた。現在では貨物専業となったが、神栖駅構内には廃車体があるそうなので、あわせて訪れてみてはいかがだろうか(車でないと困難だと思うが…)。
初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP78(94.11.27)
- ●川崎市電の面影2つ
東京と横浜の2大都市に挟まれた川崎にも、昭和44年まで市電が走っていた。現在では、桜川児童交通公園の保存車1両以外にそのよすがをしのぶことは困難であるが、意外なところでその面影を今に伝えている。
ひとつは、市電の走っていた道路が“市電通り”と名づけられ、数箇所にある標識が市民に“市電ここにありき”を静かに語っていること。もうひとつは、一時期京急大師線と市電が接続していた桜本のバス停に今も“桜本駅前”の表示が見られることである。
市民でも市電の存在を知らない人が多くなっていく中で、今も市電の魂はひっそりと息づいている。
- ●幻の臨港鉄道構想
JR越中島貨物駅の近く、江東区新砂一丁目の交差点から明治通り沿いに、あたかも鉄道用地に見える細長い土地が夢の島方向へ続いている。所々には「立入り禁止・東京都港湾局」と書かれた看板があり、かつて東京港に存在した臨港鉄道の運営主体の管理地なので廃線跡かと思ったが、ここに線路が敷かれたことはない。
長いこと疑問に思っていたが、先日「東京港史」(東京都)を調べてみたところ、昭和36年に東京都が策定した「東京港改訂港湾計画」の平面図に臨港鉄道の構想線が載っており、この夢の島へ向かう区間も構想に含まれていた。雑草の生える細長い土地は、臨港鉄道の予定地だったというわけである。同計画によると、この他にも晴海埠頭と汐留を結ぶ路線や各埋立地へ延びる引込線が構想線として描かれ、実現していれば東京港を四通八達する臨港鉄道網が見られたことだろう。
あれから30年の年月が流れ、輸送形態の変革(すなわちモータリゼーション)はこの構想を押し潰したのみならず、東京の臨港鉄道全ての命脈を断ち切ってしまった。昨今ますます自動車公害は深刻の度を増し、その対応策としてのモーダルシフトの必要性が叫ばれている。臨港鉄道の廃止は本当に正しかったのだろうか、臨港鉄道の見た夢の跡に佇みそんなことを思った。
初出:鉄道友の会東京支部日曜サークル機関誌「休日運転」bP51(92.8.16)
- ●東武千住貨物駅跡を訪ねて
地図を眺めていると、すでになくなってしまったはずの引込線がまだ描かれていることがある。そんな場所を見つけるとやはり足を運んでみたくなる。過度な期待を持たないよう気をつけながら…。
その引込線は北千住駅から東武線に沿って延び、北千住−牛田間のちょうど中間地点から東武線と別れ、京成線の築堤をくぐる辺りで分岐してかなり大きな工場の中にヤードを形成していたようだ。地図をみてわかるのはこんなところだが、早速現地に行ってみた(89年12月3日)。
北千住から東武線に沿って歩き出したが住宅の密集地で線路に平行する道路がなく、また東武の本線の敷地に吸収された形なので収穫と言えそうなものは発見できなかった。東武との分岐点もそれらしき道路に変わってしまいはっきりしないが、東武の関連会社のビルの敷地は引込線の跡地を利用したものと思わる。墨堤通りを斜めに横切り、京成線の築堤の下には引込線の跡地が線路こそないものの残っていた。踏切の標識が放置されていたり、レールや枕木が重ねて積んであった。さらに進むと敷地はどんどん広がり、ここに相当大きな工場があったことを窺わせる。
工場の跡地に隣接して「関屋商事」という解体業者の作業場があり、中にはレールが引き回されていた。そしてその一角には客車の廃車体利用の倉庫があった。
この場所は再開発が進行中の南千住汐入の対岸にあたり、これだけの広さの土地がいつまでもこのままの状態であるはずがなく、数年もすると跡形もなくなってしまうことも考えられる。雑草の生茂げる「夢の跡」に佇みながらこんなことを思った。「京成線に乗って行交う人々のうちどれだけの人がこの場所を知っているだろうか。」
初出:レイルマガジン90年○月号
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