上野動物園のおサル電車・フォトギャラリー



上野動物園のおサル電車

 今年(1992年)は猿年。芸術祭賞を受賞した「反省猿」こと次郎君やらCDまで吹込んだという日光猿軍団と、猿ブームの様相を呈している昨今である。ところで、猿が芸をするのは何も最近に始まったわけではない。子供たちに夢を与える楽しい存在だった上野動物園のおサル電車を、猿年の今こそ思い出してみたい。

 残念ながら私自身はおサル電車に乗ったかどうかはっきりした記憶がない。8の字形で平面交差のある豆電車に乗った憶えがあるが、それが果たしておサル電車なのか全く別の遊園地の遊戯施設だったのか定かではない。

 おサル電車はその名の通りサルの運転する子供電車で、昭和23年9月から昭和49年6月までの約26年間にわたって子供たちの人気を集めてきた遊戯施設である。都立工芸高校の相沢次郎氏発案による、本物のサルが運転するという世界で初めての試みは、物のない時代だけに、熱狂的な歓迎をもって迎えられたのであった。ところで、実際にサルによる運転が行われたのは最初と最後の数年間ずつのみで、東京都直営の時代、効率の悪いサルによる運転を止め、サルは単なるお飾りとなっている期間が長かった。このおサル電車廃止の引金となったのが昭和48年に国会において成立したいわゆる動物保護管理法で、翌年に同法が施行されると、電車の上に鎖でサルをくくりつけておくことは動物虐待だと動物保護団体から非難が起きた。

 動物愛護の手本を示すべき立場の動物園としても、これ以上動物虐待を続けるわけにはいかないとおサル電車の廃止に踏み切った。今思えば、昨今人気の猿芸にしても結局やっていることは同じという気もするのだが、世論の高まりに抗することはできないのがいつの世も常というところか。

 おサル電車の登場した時代背景を考えてみると、まさに戦後の荒廃から立直ろうとしていた時代であり、生活に余裕のあろうはずもなかった。今の子供はファミコンなどの高価なおもちゃを容易に持つことができるが、おサル電車の持っていた夢というかあこがれをもう持てないのではなかろうか。東京ディズニーランドに代表される大規模な資本を投下したテーマパークが流行し、夢はお金で買うのが当り前の現代では、おサル電車は記憶の片隅に留めておいたほうがよさそうだ。

 *本稿を書くにあたって以下の文献及び新聞記事を参考にしました。
○上野動物園百年史(東京都)
○上野動物園百年史資料編(東京都)
○上野動物園(東京公園文庫・郷学舎)
○鉄道と街・上野駅(大正出版)
○朝日新聞
 昭和49年4月25日付夕刊
 昭和49年5月18日付夕刊
 昭和49年6月28日付朝刊
 昭和49年7月1日付夕刊

初出 RAIL FAN 1992年○月号


おサル電車の歩み

昭和23年9月6日 試運転開始
昭和23年9月23日 東京動物園協会により本園(現在の東園)旧ヤギ山の跡地に開通するも、故障が多く開通式はのびのびとなる。初代運転士はちいちゃん(カニクイザル♀)。
昭和23年10月10日 公式の開通式を行う
昭和24年4月1日 園域拡張に伴い、現パンダ舎附近に移設。
昭和25年4月1日 東京都の直営となる。この後猿の運転士は中止になり機関車の運転台にただつないで飾りもの役になる。運転は係員のリモートコントロール方式になる。
昭和43年4月1日 再び東京動物園協会運営となる。
昭和44年1月1日 サルによる運転を再開
昭和47年4月1日 西園子供動物園内に移設
昭和49年6月30日 本日限りで廃止、最後の運転士はメリー(ブタオザル♀)。


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